◇企業紹介◇
三田農林株式会社は、1900年(明治33年)創業、岩手県盛岡市に本社を構える農林業・不動産事業を展開する企業です。創業者がりんご栽培から事業を開始し、1902年には北海道に牧場を開設。以来125年にわたり、農業・林業・酪農・不動産賃貸業を一体として運営し、約20名の社員とともに持続可能な事業経営を続けています。今回は、代表取締役社長・三田倫太郎氏に、学生団体GOAT石崎がインタビュー。創業家の歴史から事業承継の経緯、そして「成長より持続」という独自の経営哲学について、じっくりとお話を伺いました。

従兄弟の一言で故郷・盛岡への帰還を決意
三田社長は、創業家の4代目にあたりますが、本筋の後継者ではなく従子という立場でした。東京で学生時代を過ごし、卒業後は世界を代表する電気メーカーに就職。当初、家業を継ぐ予定は全くなかったといいます。
「私は本筋の人間ではなくて従子なので、別に継ぐ気はなかったんですよ」と三田社長は当時を振り返ります。しかし、転機は意外な形で訪れました。別会社を経営する従兄弟から声をかけられたのです。
1994年、三田社長は盛岡への帰還を決断しました。「生まれ故郷だし帰ってきてもいいかな」というシンプルな思いが、その後の人生を大きく変えることになります。2009年に代表取締役に就任してから約17年。今では125年の歴史を持つ企業の舵取りを担っています。
「決心というよりは、自然な流れでした」と語る三田社長の言葉からは、運命に逆らわず、しかし確かな覚悟を持って歩んできた姿勢が伝わってきます。
◾ 取材担当:石崎の感想
「継ぐ気はなかった」という言葉が印象的でした。一般的には「やりたいこと」を軸に進路を考えますが、三田社長のように「求められたから応えた」という選択肢もあるのだと気づかされました。特に、世界的な電気メーカーでのキャリアを捨てて故郷に戻るという決断は、簡単ではなかったはずです。しかし「自然な流れ」と語る姿勢に、人生の選択に正解はなく、その場その場で誠実に向き合うことの大切さを学びました。就活において「これしかない」と思い詰めず、柔軟に機会を捉える姿勢を持ちたいと思います。

明治33年、りんご作りから始まった125年の歴史。「国家に貢献するために」農林業を続ける覚悟
三田農林株式会社の歴史は、1900年(明治33年)に遡ります。創業者は三田社長の曾曾祖父にあたる人物で、岩手県の厳しい気候の中で農業による地域振興を志し、りんご栽培から事業を開始しました。
創業者は、5,000円札の肖像となった津田梅子の父・津田仙が東京の麻布に開いた農業学校の生徒でした。その縁で北海道への調査を行い、1902年には北海道に牧場を開設。この牧場は現在も事業として継続しています。また、明治の終わりからは林業にも着手し、盛岡で度々発生していた洪水を防ぐため、山への植林活動を行っていました。
1929年(昭和4年)、個人企業から会社組織へと移行する際、創業者はすでに重要な認識を持っていました。「農林業は社会的に意義があるけれども儲からない」と。しかし、国家への貢献という使命感から事業を続ける決意を固め、それまでに蓄えた財産で購入した100軒の家を不動産事業として組み込み、農林業を安定させる会社の仕組みを構築したのです。
「国家に貢献するために必要で、続けていかなければいけない」という創業者の言葉は、125年経った今も三田農林の経営理念として受け継がれています。農林業という「儲からないが社会的意義のある事業」を、不動産事業で支えるという独自のビジネスモデルは、創業者の先見性を物語っています。
◾ 取材担当:石崎の感想
125年前に「儲からないけど続けなければならない」と見抜いていた創業者の慧眼に驚きました。現代のビジネスでは「収益性」が最優先されがちですが、三田農林は創業当初から「社会的意義」と「持続性」を軸に経営設計をしていたのです。不動産事業を農林業の安定装置として位置づける発想は、今でいう「サステナブル経営」の先駆けと言えるでしょう。その企業が「何のために存在しているか」を見極める視点の重要性を感じました。

「収穫まで100年」林業の時間軸が教えてくれた、成長より持続を重視する経営哲学
三田社長が経営において最も大切にしているのは「持続性」です。この価値観は、林業という事業の特性から自然と培われたものでした。
「農業は毎年作物が取れますけど、林業は収穫まで100年ぐらいかかるんですよね。今は杉なんかは120年とか150年とかかけて育てていくんです」と三田社長は説明します。自分が植えた木を、自分が収穫することはできない。次の世代、その次の世代へと託していく事業なのです。
この時間軸の違いが、三田社長の経営哲学を形作りました。「成長ということよりは、持続性ということに価値観を置いています」と語る背景には、欧米型の「日々成長して進歩していくのが善」という価値観への疑問があります。
「今の価値観はキリスト教ベース、特にプロテスタントベースの考え方が主流になっていると思います。でも、農林業はそれだけではない。やっぱり続いていかないと意味がない。次の人に残していくようなことを考えています」
約70年間、社員数20名前後という規模を維持し続けているのも、この「持続性重視」の表れです。急激な成長を追い求めず、自社の原料で生産できる範囲で商品を作り、土壌の状態や微生物のことまで配慮しながら事業を営む。それが三田農林のスタイルなのです。
◾ 取材担当:石崎の感想
「収穫まで100年」という言葉に衝撃を受けました。自分が生きている間に成果を見届けられない仕事に、どうやってモチベーションを保つのか。三田社長の答えは「次の人に残す」というシンプルなものでした。100年スケールで物事を見る視座があることを知り、自分の時間軸を見直すきっかけになりました。持続可能な社会を担う世代として、この考え方は非常に重要だと感じます。

学生へのメッセージ:「よく考えても高が知れている」父から受け継いだ、気を楽に持つ心得
三田社長から就活生へのメッセージは、意外なほど肩の力が抜けたものでした。
「皆さんのことを見させていただいて、僕らが学生の時よりよっぽどちゃんとしているなと思っています」と笑顔を見せた三田社長は、大学4年生の時に父親から言われた言葉を教えてくれました。
「親父が上京してきて飯を食おうということになって、『お前そろそろ就職だろう』と。そこで言われたのが『よく考えても高が知れているんだ』という言葉でした」
父親の学生時代、最も人気があった業界は砂糖を製造する会社だったそうです。しかし今、その業界は見る影もありません。三田社長自身が選んだ電気メーカーも、今や大きく形を変えました。
「学生の時に一生懸命考えることにはとても意味があるんですけど、高が知れているんですよね。だから気を楽に持って、考えるよりまずやってみるということも大切だと思います」
また、継続することの重要性についても言及されました。「最初の10年ぐらいは、振り返ると何にもできなかったなと思っています。友達もみんな若かったし、社会的な影響力もポジションもなかった。やっぱり40代過ぎてからですかね、形になってきたのは」
最後に、異なる世代や他大学の人々との交流を積極的に持つことを勧められました。「私の学生時代は、そういうことが少し足りなかった。それは後悔として残っています。皆さん大学生にはそこを是非頑張っていただきたいと思っています」
◾ 取材担当:石崎の感想
「よく考えても高が知れている」という言葉は、就活に悩む学生にとって救いになる言葉だと思いました。完璧な選択をしようと力み過ぎている就活生は多いはずです。しかし、20年後・30年後の業界トレンドは誰にも分からない。三田社長の父上の言葉は、その事実を端的に表しています。だからこそ「気を楽に持って、まずやってみる」という姿勢が大切なのでしょう。また「40代過ぎてから形になった」という言葉は、焦らず継続することの価値を教えてくれました。今回の取材を通じて、就活の捉え方が少し楽になりました。