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【柴沼醤油醸造】「負けないのは、ギブアップしないから」18代目が語る330年企業の挑戦

2026年05月19日

柴沼醤油醸造株式会社

【柴沼醤油醸造】「負けないのは、ギブアップしないから」18代目が語る330年企業の挑戦

◇企業紹介◇

柴沼醤油醸造株式会社は、江戸時代から330年以上続く老舗醤油醸造会社です。茨城県土浦市に本社を構え、伝統的な製法を守りながら、国内外への販路拡大に積極的に取り組んでいます。今回は、18代目当主であり代表取締役社長の柴沼秀篤氏に、学生団体GOATの石崎がお話を伺いました。直系長男が18代にわたって継承してきたという稀有な歴史を持つ同社。しかし柴沼社長は「醤油屋だけには絶対なりたくなかった」と語ります。テニスでプロを目指し、大手食品メーカーで7年間勤務した後、父の病をきっかけに29歳で家業に戻った柴沼社長が、どのように会社を変革し、グループ連結売上を10億円から27億円へと成長させたのか。その軌跡と経営哲学に迫ります。

「絶対に醤油屋にはならない」幼少期からの反発と、プロテニス選手への夢

柴沼醤油醸造は、創業以来18代にわたり直系長男が当主を継いできました。これは老舗企業の中でも極めて珍しいケースです。「200年300年企業って意外と多くあるんですけど、江戸時代からスタートしていると、なかなか長男の子が生まれなかったり、戦争があったり、いろんなことで途中で婿養子が入ったりする会社が多いんです。たまたまうちは18代、直系の男子が続いている」と柴沼社長は語ります。

しかし、その「継承者」という立場は、幼少期の柴沼社長にとって大きな重圧でした。「僕はもう幼稚園の時からそれが嫌で。小さな町の会社なので、周りのおじいちゃんおばあちゃんとか近所の人とかも『あんたがこの立派な会社を継ぐんだよ』って言われるのが本当に嫌だった。絶対醤油屋にだけはならないって決めて、テニスでプロになることを目指しました。そうすれば、醤油屋にならなくて済むと思ったんです

幼稚園からテニスを始めた柴沼社長は、その才能を開花させていきます。茨城県で優勝し、関東大会を経て全国大会へ。常に全国上位に食い込む実力者でした。高校生の時には、日本代表としてアメリカ・フロリダへの遠征ツアーに参加する機会を得ます。これはプロへの登竜門となる重要なステップでした。

しかし、そこで待っていたのは厳しい現実でした。「当然、自分は世界ランキングは持っていないけど、それなりに強いと思っていた。でも行った時に全然勝てなかった。しかも相手は世界ランキング1位の選手でしたとかじゃなく、全然無名の選手。同世代で16歳ぐらいだけど、身長180cmぐらいあって、めちゃくちゃ強かった」。この経験が、柴沼社長の人生の方向を大きく変えることになります。

◾ 取材担当:石崎の感想

幼少期から「将来の道が決められている」ことへの反発から始まった柴沼社長のキャリア。その原動力が「絶対になりたくない」というネガティブな感情だったという点が印象的でした。就活生の中にも「親の期待」や「周囲の声」に悩む人は多いはずです。柴沼社長のように、その反発心をバネに全く別の道で上を目指すという選択肢があることを知ってほしいと感じました。

グループ売上10億円から27億円へ。「代々やっている会社だから」への反骨心

家業に戻ってから17年。柴沼社長は柴沼醤油醸造だけでなく、現在5つの会社を経営しています。グループ連結売上は、引き継いだ当時の10億円強から27億円へと約3倍に成長しました。その背景には、ある「コンプレックス」がありました。

「自分の中にはずっとコンプレックスがあった。『柴沼さんは代々やっている会社だから』『お坊っちゃまだから』と言われる。だから自分の実力を評価するのは、ベンチャーで0から1を立ち上げることしかないと思っていた」

柴沼社長は本業の醤油醸造に加え、4つの会社を新たに立ち上げました。輸出商社、輸出コンサルティング会社、新橋の飲食店、そしてクラフトコーラやクラフトジンジャーエールなどの発酵をテーマにした事業会社。全てゼロからのスタートでした。「自分の実力が本当にこの世の中でどれぐらい評価されるのか試す意味で、会社を立ち上げながらベンチャーとして全部やってきた

なぜ「食」という軸から外さないのか。それは330年の歴史の中で学んだ教訓があるからです。「100年に1回ぐらい、うちは3回ぐらい倒産の危機があった。江戸幕府が倒幕して反応が全然変わったり、戦後の農地解放で全部国に取り上げられたり自分たちでは抗えない大きな波があった」

だからこそ、複数の事業の柱を持つことが重要だと柴沼社長は考えます。「醤油の需要が減っても、世界の日本食マーケットは広がり続けている。輸出事業が支えになる。戦争で一部地域がダメになっても、コンサルティング事業で国や自治体の案件がある。それぞれが支え合っている」

◾ 取材担当:石崎の感想

「お坊っちゃま」というレッテルへの反骨心が、4社のベンチャー立ち上げという挑戦につながったというエピソードに衝撃を受けました。「恵まれた環境」は、時にハングリー精神を生み出すのだと。就活生の中にも「実家が裕福」「有名大学出身」などで逆にプレッシャーを感じている人がいるかもしれません。柴沼社長のように、そのコンプレックスを「証明してやる」というエネルギーに変換できれば、大きな推進力になります。

「負けないのは、ギブアップしないから」勝ち続ける経営者の哲学

柴沼社長が大切にしている経営の軸は2つあります。1つ目は、PMVV(パーパス・ミッション・ビジョン・バリュー)の明確化と浸透。「柴沼醤油だけでなく、5社全ての会社にPMVを作って、その浸透と落とし込みを徹底している。全社員がそこに向かって明確に活動するところを、ものすごく大事にしている」

2つ目は、「守り」を一切しないこと。「挑戦をし続ける、変化を恐れない。基本的には全てにおいて攻め続けていく、変わっていく、変化していく。ただし軸足の部分、僕らで言うと『清潔な醤油を作っていく』という根底は変えない。でも販売ターゲットを国内から海外に展開したり、新しい商品を作ったり、お客様とのコミュニケーションの仕方を変えたり。江戸時代からどうとか、今までがどうとかは一切関係ない。時代の変化と共に変わっていくんだという考え方です」

そして、柴沼社長には独自の「勝ち方」の哲学があります。「自分は絶対負けないんですよ。全てのベンチャーで成功させている。それは自分がすごいんじゃなくて、ギブアップしないから負けないんです。負けたと言って畳まないから、勝ち続けるまでやって、必ず勝つ」

ベンチャー立ち上げ時には、うまくいかないことも当然ある。しかし、そこでやめたら「負け」がつく。「自分は絶対に勝てると思っているから、勝つまで必ずやると決めている。だから自分自身も勝ち癖がついているし、絶対にやり続ける、成し遂げるというのは明確に持っている。スポーツと同じです」

◾ 取材担当:石崎の感想

「負けないのは、ギブアップしないから」という言葉が強く心に残りました。私も「選んだ道を正解にしよう」という言葉が好きなのですが、柴沼社長の哲学はそれに通じるものがあります。成功の秘訣は才能でも運でもなく、「諦めない」というシンプルな姿勢。

思い通りにいかなくても、そこで終わりではない。「勝つまでやり続ける」という覚悟があれば、必ず道は開けるのだと、柴沼社長の言葉から学びました。

「地方の経営者がかっこよくなれば、日本は変わる」未来への使命

柴沼社長が見据える未来は、自社の成長だけではありません。「この後400年、450年と10代、20代、さらにその下の世代へ繋がっていく。そのバトンをきちんと次の世代に面白い形で渡していく」。

「2050年には日本の人口は1億人を切る。全国に約1,725自治体があるが、約720自治体が消滅可能性地域になる。なくなっていくんです」。この危機感が、柴沼社長の新たな使命を形作りました。

「なぜそうなってしまったか。地方だからダメだったわけじゃない。地方の経営者たちがかっこ悪い、面白くない。だから地方が面白くならない。でも地方で面白い経営者がきちんと育っていけば、必ず時代は1周2周回って、『地方こそ面白い』という時代が来ると思っている」

インバウンドの変化がその兆しを示しています。「昔は外国人観光客も銀座、京都、大阪を回っていた。でも今は違う。うちのお客さんや仲間も『この間、八丈島に行った』『愛媛の上島に行った』と、めちゃくちゃマニアックなところに行く。東京は香港でもロンドンでもパリでもニューヨークでも同じ。ローカルの面白さ、美味しさ、楽しさこそが、彼らが求めている日本らしさなんです」

だからこそ、柴沼社長は各地に「面白い経営者」を増やしたいと考えています。「日本全国に100人、200人ぐらい面白い経営者、若くていい経営者が各地にいたら、その地域に雇用が生まれる。街も変わる。東京に就職したとしても、『うちの実家って面白いんだ』と言えるような会社がある地域には、人は必ず戻ってくる」

これは330年の恩送りでもあります。「僕らは前の世代から江戸時代から続く恩送りをしてもらっているから、今こうやって表現できている。自分たちがその上にあぐらをかいて、何もしなくても生きていける。でもそれじゃ次の世代に何を残せたんだろうと。何かしらを残したい」

◾ 取材担当:石崎の感想

「地方の経営者がかっこよくなれば、日本は変わる」という言葉に、経営者としての大きなビジョンを感じました。自社の成長だけでなく、日本全体の活性化を見据えている。就活生にとっても、この視点は重要だと思います。「どの会社に入るか」だけでなく、「その会社で何を成し遂げたいか」「社会にどう貢献したいか」という視座を持つことで、キャリアの意味が深まる。柴沼社長の「恩送り」という考え方は、先輩世代から受け継いだものを、次の世代にどう渡していくかを考えるきっかけになりました。