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【株式会社太郎庵】「生きているだけで幸せ」を証明する菓子職人の信念

2026年07月09日

株式会社 太郎庵

【株式会社太郎庵】「生きているだけで幸せ」を証明する菓子職人の信念

福島県会津地方に本社を構える株式会社太郎庵は、昭和54年(1979年)創業の老舗菓子メーカーです。「お菓子を通して会津を良くしたい」という情熱を胸に、地元密着型の経営で会津地方に13店舗、郡山に2店舗の計15店舗を展開。売上高12億円を超える規模へと成長を遂げました。今回は、2代目代表取締役の目黒徳幸社長に、学生団体GOATの石崎が取材を実施。創業の原点から経営哲学、そして若者へのメッセージまで、目黒社長の言葉には「信念」と「覚悟」が溢れていました。お菓子という商いを通じて世界平和を目指すという壮大なビジョンの裏側に迫ります。

「お菓子屋はいいぞ」祖父の一言が紡いだ三代の物語

太郎庵という屋号には、深い意味が込められています。「会津にあって日本を代表するお菓子になりたい」という願いから、浦島太郎、金太郎、桃太郎という日本を代表する男の子の名前に共通する「太郎」を冠しました。シンボルマークは南京ランプ。「お菓子を通して情熱を届けたい、お客様の心にぬくもりを伝えたい」という想いの象徴です。

創業者である目黒社長の父は、貧しい菓子職人の家庭に生まれました。祖父は朝から晩まで休むことなく働き続けましたが、暮らしは一向に楽になりませんでした。そんな姿を見て育った父は「いつか表に店を出して、両親に親孝行したい、楽をさせたい」という志を抱き、菓子業界への道を選びます。

しかし、高校卒業時に祖母へ進路を相談すると、返ってきたのは「こんな恵まれない商売はやめてくれ」という反対の言葉でした。その時、普段は寡黙な祖父がたった一言、「お菓子屋はいいぞ」と言ったのです。その言葉を受けて、父は菓子職人としての修行に出て、戻ってきて太郎庵を創業しました。

創業当初は店舗を持たず、卸売りからのスタートでした。朝6時に近くの温泉へお菓子を売りに行き、夜帰ってくる日々。「いつか自分の息子が大人になった時に『店を継ぎたい』と言ってもらえる会社にしたい」という想いを胸に、当時のコンサルタントが示した「売上1億円を超えれば、大学卒業した子供が店を継ぎますよ」という目安を目標に掲げ、懸命に歩み続けました。

◾ 取材担当:石崎の感想

祖父の「お菓子屋はいいぞ」というたった一言が、三代にわたる家業の礎になっているという話に胸を打たれました。私たち若者は、つい言葉の量や論理的な説得力を重視しがちですが、本当に人の心を動かすのは、その人の人生を賭けた一言なのだと実感しました。就職活動でも、企業の理念やビジョンの「言葉の重み」を見極める目を養いたいと思いました。創業の原点を知ることで、その会社が大切にしている価値観がより深く理解できることを学びました。

「継ぐ気はなかった」ではなく「期待に応える」という覚悟

目黒社長は、なぜ家業を継いだのでしょうか。その答えは、単なる「家族の期待」という言葉では収まりきらない深い信念に基づいていました。

「私は両親が決めたからこれをやっているわけではありません。両親が期待してくれて、私は家族の期待に応えたい、周りの期待に応えたい、社員の期待に応えたいと思ったのです。男である以上、期待されて背中を叩かれたら、どんなに自分より大きい相手でも正面切って挑まなきゃいけない時があるじゃないですか」

目黒社長は幸せの定義を「人に愛されて、喜ばれて、必要とされて、役に立つこと」と語ります。そして、その全てが仕事を通じて得られるものだと言い切ります。愛されることは生まれただけで両親に愛されて得られますが、喜ばれること、必要とされること、役に立つことは「何かをすること」、つまり仕事からでしか得られないというのです。

転職の定義についても独自の見解を持っています。「好きなこと、得意なこと、儲かること、人の役に立つこと。この4つが揃えば天職です」。目黒社長の場合、好きなことは「物を考えること、物を作ること、人に喜ばれること」。得意なことは「行動スピードが圧倒的に早いこと」だと語ります。

「意思決定で迷う時はグレーという選択肢も明確にする。そして諦めも早い。ベストを尽くしてダメだったら、じゃあ次、という切り替えができる。これが私の得意なことなんです」

◾ 取材担当:石崎の感想

特に印象的だったのは、目黒社長が「日本一の技術がある自信はない」と正直に認めながらも、行動スピードという別の強みで勝負しているという点です。自分の強みは必ずしも専門スキルである必要はなく、性格や行動特性も立派な武器になるということを教えていただきました。

「幸福証明」と「存在証明」左耳を失った少年が見つけた人生の目的

目黒社長の人生には、経営哲学の根幹を形作る原体験があります。小学校2年生の時、おたふく風邪のウイルスが原因で左耳の聴力を失いました。その時、母親が「ごめんね」と謝ったのです。

「あまり気にしていなかったのですが、自分が病気になって耳が聞こえないことで両親を悲しませていることに対する罪悪感がありました。だから私は、そんな思いを両親にさせない生き方をしようと決めたのです」

ここから生まれたのが「幸福証明」という概念です。「私は生きているだけで幸せなんだということを、人生を全力でかけて証明したい」。親から見て幸せそうに見える生き方をすれば、親は安心してくれる。それが目黒社長の「幸福証明」です。

もう一つの柱が「存在証明」です。祖父が父に「お菓子屋はいいぞ」と言った、その菓子職人という職業。父が「お菓子を通して親孝行したい」と志した、その菓子屋という仕事。「その職業が素晴らしいものだということを、私は自分の人生をかけて証明したいのです。素晴らしい職業だということを表現することで、祖父と父の存在をより証明できる。」

だからこそ、目黒社長は事業規模だけを追い求めません。「大企業のような1000億円企業ではないけれど、貫きたい信念がある。それは売上や利益だけでは測れないものなのです」

◾ 取材担当:石崎の感想

「幸福証明」「存在証明」という言葉に、目黒社長の人生の深みを感じました。困難を「不幸」と捉えるのではなく、それを乗り越えて幸せに生きることで周囲に証明するという発想は、逆境をバネに変える究極の思考法だと思います。私たち就活生も「なぜ働くのか」という問いに向き合う時期ですが、目黒社長のように自分なりの「証明」を見つけることが、ブレない軸を作る鍵になるのではないでしょうか。

学生へのメッセージ—「逃げなかった自分」が未来の自信になる

目黒社長は、若者に対して「色々やったらいいんじゃないの」と気さくに語りかけます。かつての終身雇用の時代とは違い、転職も当たり前になった今、様々な経験を積むことを肯定的に捉えています。

しかし、一つだけ強調したいことがあると言います。「自分が決めた道を、自分で責任を取るということです。自分に指をさす、ということなんです」

目黒社長自身、逃げ場がなかったからこそ正面から立ち向かってきました。今の世の中では「逃げてもいい」という選択肢を残しておくことの大切さも認めながら、こう続けます。

「でも私は逃げるところがなかったんです。だから正面切ってやるしかなかった。自分が決めたから、自分で責任を取った人生だから、一生懸命続くんです。そこに私の信念がある」

そして、今この瞬間に全てが分かる必要はないと付け加えます。「今は色々な知識と教養を身につけている最中じゃないですか。後になって気づくことがある。逃げなかったことに対する自分への自信は、後で気づきます。私も当時は気づかなかったから」

最後に、目黒社長は「AIには出せない答え」について語りました。「一般論の正解ではなく、自分はこう思うんだ、周りが何と言おうが僕はこう思っているんだよという話。それが面白いんです。そこにオリジナリティがあり、アイデンティティがある」。若者たちに、自分だけの信念を見つけ、それを貫く勇気を持ってほしいというメッセージが込められていました。

◾ 取材担当:石崎の感想

「逃げなかったことへの自信は後で気づく」という言葉が、今まさに将来に悩む私の心に深く響きました。就職活動では「正解」を探しがちですが、大切なのは自分で決めて、自分で責任を取ること。そしてその経験が、将来の自分を支える自信になるのだと教えていただきました。目黒社長のお話は、AIでは絶対に生み出せない、一人の人間の人生から紡ぎ出された言葉でした。この取材を通じて、私自身も「自分だけの信念」を見つけていきたいと強く思いました。