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【亀屋製菓】72年続く福井の菓子職人が語る中小企業の生き残り方

2026年06月30日

亀屋製菓株式会社

【亀屋製菓】72年続く福井の菓子職人が語る中小企業の生き残り方

◇企業紹介◇

亀屋製菓株式会社は、昭和29年(1954年)創業、福井県に本社を構える老舗の菓子製造卸売業者です。創業72年目を迎える同社は、観光土産品を中心に、福井県産ブランド米「いちほまれ」を使用した和菓子や、恐竜王国・福井を象徴する恐竜菓子、伝統の羽二重餅など、地元素材にこだわった商品を製造しています。店舗を持たず、B2B(企業間取引)に特化したビジネスモデルで、問屋や土産物店への卸売りを主軸に事業を展開。今回は、2代目社長・田中義乃氏に、学生団体GOATの石崎が取材を行いました。独自の経営哲学から、72年間の歴史で培われたノウハウ、そして若者へのメッセージまで、企業経営の真髄に迫ります。

「車庫でお菓子を作り始めた」父の挑戦から始まった72年の歴史

亀屋製菓の歴史は、戦後の混乱期に田中社長の父親が自宅の車庫でお菓子を作り始めたところから始まります。当時、父親は菓子店での修行を2年ほど経験した後、独立を決意。しかし、最初から順調だったわけではありません。「失敗が山のようになって」と田中社長は当時を振り返ります。何度も何度も失敗を繰り返し、ようやくお客様に食べていただけるような商品が作れるようになったのです。

初めてまともなお菓子ができて、問屋さんに納品したのが昭和29年7月12日。この日が亀屋製菓の創立記念日として定められ、毎年この日に社員が集まり、勤続表彰や皆勤表彰を行う伝統が今も続いています。「自宅の車庫でお菓子を作り始めた」という原点は、72年経った今でも会社の根幹を成しています。

田中社長自身は、東京の専門学校で製菓を学んだ後、すぐに福井に戻り、会社に入りました。「他の会社に勤めたこともない。学生の時はアルバイトをたくさんしていましたけど」と語るように、一貫して亀屋製菓の道を歩んできました。2001年に社長に就任し、今年で社長業も25年目を迎えます。父親が築いた基盤の上に、2代目として新たな経営哲学を重ねてきたのです。

◾ 取材担当:石崎の感想

「失敗が山のようになって」という創業時のエピソードが印象的でした。今でこそ72年続く老舗企業ですが、その始まりは自宅の車庫での試行錯誤だったという事実に、ビジネスの本質を見た気がします。就活生の私たちは、つい「大企業」「安定」といった言葉に惹かれがちですが、どんな会社も最初は小さな挑戦から始まっているのだと改めて実感しました。創立記念日を「初めてまともな商品が納品できた日」に定めているところにも、モノづくりへの誠実さが表れています。

「1店舗1アイテムがベスト」店舗を持たない経営戦略の真意

亀屋製菓の最大の特徴は、自社店舗を一切持たないB2Bに徹したビジネスモデルです。「お菓子屋さんも飲食関係も、店舗展開とかすると結構リスクが高いんですよ」と田中社長は語ります。家賃と人件費で利益が圧迫されてしまう現実を見据え、製造卸売りに特化する道を選んだのです。

業界内では「1店舗に徹しろ、できるだけアイテムを減らせ、1店舗1アイテムがベスト」という考え方があると言います。「新商品を出すとね、売上が下がってきたから新商品を出して維持しようとか、もっと拡大しようとかっていう戦略なんですけど、経費がかかるし、倉庫もいっぱいになるし、配達するトラックもいっぱいになる」という田中社長の言葉には、長年の経営経験から得た知恵が凝縮されています。

実際、亀屋製菓には60年以上作り続けている商品もあります。「商品に磨きをかけろ」という父親からの教えを守り、新商品を次々と出すのではなく、既存商品の品質向上とお客様の数を増やすことに注力してきました。ごま、きなこといった昔ながらの素材を使い、伝統ある和菓子を作り続けています。これは東京の百貨店バイヤーからのアドバイスでもありました。「東京には、もう素晴らしいデザインと素晴らしい洋風なデザートとか若い人向けのお菓子があふれている。そういうところには対抗してはいけない。勝てない」というのです。

では、どこで勝負するのか。それは地方という明確なターゲット設定です。東京居住者のほとんどは東京以外の地方出身者であり、故郷を懐かしむ需要は確実に存在する。電話での注文、時には手紙での注文もあり、15分ほど世間話をしてから「じゃあ、送ってください」となる。このような温かみのある取引が、亀屋製菓の商売を支えているのです。

◾ 取材担当:石崎の感想

「勝てないところで戦わない」という戦略の明確さに驚きました。就活においても、大企業の選考で大勢のライバルと競うのではなく、自分の強みが活きる場所を見つけることの大切さを教えられた気がします。また、電話注文で15分も世間話をするというエピソードは、効率化・デジタル化が叫ばれる現代において、逆に新鮮に感じました。「狭いところで狭く細長く生き延びる」という言葉は、中小企業だけでなく、個人のキャリア戦略としても参考になります。

「営業はしない」お願いされる側になるための独自戦略

亀屋製菓には積極的な営業活動はありません。ノルマもありません。「営業しないのが営業だと思っていて、営業されるのがいい」と田中社長は語ります。かつて、積極的に新商品を開発してOEMで展開した時期もありました。しかし、売れなければ在庫を抱え、不良在庫が山積みになる苦い経験をしたのです。

そこから学んだのは、「いい商品を作れば売れる時代ではないけど、特殊な商品、うちだけでしかできない商品を作れば向こうからお願いされる」ということでした。「お願いする側じゃなくて、お願いされる側に。そうすれば適切な価値を提供できる。」これが70年間で築いた独自のノウハウなのです。

人材採用においても、独自の方法を取っています。新卒採用は一度も行ったことがありません。代わりに、派遣社員として1年、2年と働いてもらい、お互いのマッチングを確認してから正社員として迎え入れる方式を採用しています。「社員さんになってもらえませんか」「社員さんにならせてください」と、双方が納得した上での採用。現在も4人がこのルートで正社員になり、長く働き続けています。中には、田中社長の息子の奥さんになった女性もいるのだとか。

パート社員の採用も困っていません。周辺地域が新興住宅地で人口が増えているため、チラシを出せば必ず応募がある環境です。「旦那さんの扶養家族の範囲内だけで働きたい」「子供を幼稚園に預けている間だけ働きたい」というニーズに応える形で、柔軟な雇用を提供しています。

◾ 取材担当:石崎の感想

「営業しないのが営業」という逆説的な言葉が印象的でした。自分の価値を高めることで、相手から求められる存在になる。これは就活においても同じことが言えるのではないでしょうか。また、派遣から正社員へという採用方式は、双方にとってミスマッチを防ぐ合理的な仕組みだと感じました。大企業の一括採用とは異なる、中小企業ならではの人材確保の知恵を学びました。

若者へのメッセージ:「苦労がなくなるのではなく、苦労でなくなる」人間の成長とは

田中社長に、今の若者へのメッセージを伺いました。「今、どちらかっていうとお金がお金を儲けさせるっていう投資家の時代じゃないですか。でも、仕事の尊さっていうのは、苦労して失敗して積み上げて改善してやったよかった。そういうことの経験ってのはやっぱり失敗からしか学んでいけない」。投資で資産を増やすことが注目される現代だからこそ、モノづくりや仕事を通じた成長の価値を強調されました。

特に心に残ったのは、「苦労」についての言葉です。「苦労がなくなるわけじゃなくて、苦労でなくなるということ。今までの苦労が苦労でなくなったってのが人間の成長だということです」。苦労が消えるのではなく、成長することで苦労と感じなくなる。この一言に、70年近い人生経験からの深い洞察が込められています。

「仕事っていうのは、人の世の中の役に立つとか、人のためになるとか、人を幸せにするってことなので、物づくりとか商品サービスでその社会に貢献したい、人に貢献したいというところが私は一番大事」と田中社長は続けます。そして、「会社っていうのは自分の成長の場所になってほしい」と。単に給料をもらう場所ではなく、人間として成長できる場所として会社を捉えてほしいというメッセージです。

最後に、勉強についても独自の見解を示してくれました。「若者というロウソクに火をつける。火をつけてあげればもう自分で進んで勉強していく」。興味を持てば人は自然と学ぶ。いやいや勉強しても成果は出ない。アウトプットのためにインプットをする。そして、得た知識は仲間や社会に還元していく。田中社長の言葉には、次の世代への温かいエールが込められていました。

◾ 取材担当:石崎の感想

「苦労がなくなるのではなく、苦労でなくなる」という言葉に、深く考えさせられました。就活も、最初は大変に感じることばかりですが、それを乗り越えて成長することで、かつての苦労が苦労でなくなる。そんな未来を想像することができました。また、「ロウソクに火をつける」という比喩は、自分のキャリアを考える上でも示唆に富んでいます。与えられたことをこなすのではなく、自分の中に火をつけて主体的に動ける人間になりたい。そう強く感じた取材でした。田中社長、貴重なお話をありがとうございました。